人の欲、そして寿命

あちらこちらで触れられていることではあるけれど、希望の党が負けた理由について。

「排除」という言葉がマスコミに利用された面はあるものの、それは主因ではなくて、一番の原因は小池氏に時間がなかったことじゃないか。

時間というのは突然の解散で選挙の準備ができなかったということだけではなくて、小池氏の年齢から考えて、総理の座を狙うには「次の次」ではダメだったということ。

もっと若ければ「次の次」を考えられたと思うのだが、小池氏はそんな悠長なことは言っていられなかったのではないか。

何としても今回で総理の座を掴もうとした結果、金と候補者の不足が生じ、必然として民進党の候補者を呑み込むことになった。それが不和と野合の批判を呼び、五輪と市場問題への対応の批判や都政投げ出しの批判と合わさって、自らが立候補する雰囲気を壊してしまった。

まぁ自業自得ではある。もし五輪や市場の問題を適切に処理し、行政手腕を発揮していたならば、都政を投げ出すとしてもそれほど批判は大きくならなかっただろうから。特に市場問題については自分で散々危険と煽っておいて、安全だが安心がないなどと言い出し、挙句に玉虫色の方針を打ち出してお茶を濁すという体たらくで、しかもその間に税金は垂れ流しなのだから擁護のしようもない。

あるいは彼女は、自分に行政処理能力がないことを自覚していたからこそ、焦って今回にこだわったのかもしれない。だとすれば尚の事、不出馬という結果は不可解なのだが。

兎も角、小池氏の政治寿命は今回の一件で尽きたと言っていいだろう。国政復帰の腰掛けと考えていたならば、都知事を続ける意欲すら失った可能性もある。

急いては事を仕損じる。しかし急かねばならない人もいる。若干の悲哀を感じなくもない。