2018サッカーW杯と、その後の日本代表について

今日はゆるくサッカーについて語りたい。

W杯に挑む日本代表についてだ。

なんだかんだ言っても代表の試合は見ていて面白い。Jリーグの試合よりは。

なぜならプレイスピードが速いし、1対1があるからだと思う。

パススピードが遅くて、ディレイで守備をした気になってるDFの多いJリーグの試合は見ていて欠伸が出る。

この点はリーグ戦の方が代表より面白いヨーロッパとはまったく異なる。

 

で。面白さはさておいて。

ハリルホジッチを解任しろという声が結構あるわけだ。

まぁ気持ちはよく分かる。スポーツ新聞を読む限り、ハリルが「縦に早く」以外の指示をしているのを見たことがないから。

多分コミュニケーションの失敗なんだろうなぁと思う。

カウンターというのは相手の守備陣形が整っていない時に効果的なのであって、そうでない時にはあまり意味がない。守備陣形の整った相手に縦に早くするのはただの焦ったプレイであって、ボールを失うだけだ。ボールを失えば守備に追われることになり、無駄に体力を消耗するし、時には逆にカウンターを食らって危ない目を見る。

さすがに何時いかなる時も縦に早くしろとハリルホジッチが指示しているとは思いたくない。

 

そもそも強いチームというのは速攻も遅攻もできるものだ。

それにカウンター主体のチームであっても、常に相手にボールを持たせるわけではない。

カウンターというのはショートであれロングであれ、多くのスプリントを要求する戦術であって、90分のカウンターというのは余程大きな体力差がなければ不可能だ。

そういう状況は多くない。だからボールを保持して休む時間が必要だし、ボールを保持する状態からシュートで終わる遅攻の形も不可欠なのだ。

 

2014年のW杯で日本のポゼッションサッカーは確かに敗北した。

しかし。だからポゼッションを捨てることが正しいのだろうか?

何故日本がポゼッションサッカーを志向したかを思い出すべきだ。

その前提には日本人がフィジカルで劣るという現実がある。

フィジカルで。つまり高さで。足の速さで。足の長さで。そして身体の強さで。世界に対し劣るという現実の前で、ポゼッションを高めることはピンチを遠ざけるための手段だったはずだ。

そしてその前提は今も変わっていない。

ということは。他に手段が見つからない限り、日本が世界との差を埋めるための手段は相変わらずポゼッションなのだ。

勘違いしてはいけないのは、ポゼッションを志向するということは速攻を否定することではないということだ。相手の守備陣形が整っていない時には、縦への意識を強く持ち、早く攻めるべきだ。しかし人数が足りている時には無理に攻めるべきではなく、遅攻を仕掛ける時には攻めつつもカウンターへの警戒が必要になる。

 

今の日本代表を見ていて思うのは、急激に逆へと振れる日本人の国民性でもある。

2014年のW杯の教訓は、ポゼッションを捨て去ることで良かったのだろうか。

そうあるべきだったとは、僕には思えない。